河村りょうの政治理念

 

「市民・行政・議会、三方良しの政治」 

 

大学卒業後、新聞記者として二年半にわたり地方行政を担当し、市民と行政、双方の声に耳を傾けてきました。その後三年間は京都市職員として勤め、直近の一年間は前京都市議の秘書として地域を巡っておりました。

 

 

●すれ違う市民、行政、政治

そこで見えてきたのは、市民と行政の分断です。市民、公務員、政治家、誰もが一生懸命に「今の暮らしをより良くしたい」と考え活動しており、その志に差はありません。しかし今の社会、特に京都市では、「政治家が悪い」「公務員は分かってない」「市民にも負担を」と、互いを責め立てる声が目立ちます。なぜ、このようなすれ違いが起きてしまうのでしょうか。

 

元職員として感じた「すれ違いの理由」は、役所内部に蔓延する「あきらめムード」と「前例主義」です。

職員のほとんどは真面目に仕事をしています。しかし、市民の皆様からご指摘を受けたり、自分が担当する事業の内容に違和感を感じたりしても、変えることはほぼ不可能です。いち職員がすべての上司を説得し、議会に案を提出し、予算を付けてもらうというのは時間も労力も足りませんし、かといって直接議員に相談することもできません。市民と職員が直面している現場と、議会を含む決定機関の距離があまりに離れすぎていて、改革の現実味がなく、あきらめてしまうのです。

 

役所の窓口で事業についてご意見を述べていただいた際、職員から「善処します」「検討します」と返事をもらったことはありませんでしょうか。職員自身も同様に違和感を持っている場合がほとんどですが、自分の力では変えられないとあきらめてしまっているので、そうした対応になってしまいがちなのです。そしてそのあきらめムードはそのまま「前例踏襲」へとつながってしまい、それを見た市民や政治家はまた、役所に失望を重ねてしまうのです。

 

 

 

 

 

●三方の事情を知る存在としてできること

 こうした悪循環を断ち切るには、市民・行政・議会の垣根を取り払い、三方にとって一番良い結果をもたらす存在が必要です。

互いの懐を知らぬまま主張を重ねても、すれ違いを繰り返すだけなのです。

 

京都市政に係る全ての声を、三方に誤解なく伝え、理解し、実現できる体制。多くの人々が行政に望む事が「当然に、かつ不正なく」実現され、また、行政からの思いが遍く市民に伝わる「当たり前の市政」を実現したい。それがそれぞれの立場で見てきた私が目指すまちの姿です。

 

京都市の財政危機は既に市民生活に大きな影響を与え、可及的速やかな対処が求められています。互いに糾弾し合い、責任を 押し付けあう段階ではありません。この局面において、各方面の立場を知る人間が事態を静観することが許されるでしょうか。私が私自身の置かれた立場に対し下した決断は「今こそ行動すべき」でした。 

 

●京都を再び住民自治のまちへ

日本の伝統と先人の知恵を守ってきた京都。その過程で遭遇したであろう多くの問題の数だけ、当時の市政に関わる全員が共に力を合わせ、乗り越えてきました。しかし、市民と行政が仲たがいをしている今の京都市政においては、解決すべき問題を目の前にして、解決への土俵に上がることすらできていません。このままでは、お互いの時間と体力を無駄にしてしまうだけです。

 

だから私は、市民と行政を繋ぐ「懸け橋」になりたい。それぞれの主張をしっかりと聴きながら、建設的な議論を進める他の調整役となり、全員が納得できる政策の実現に向けて奔走する政治家を目指したいのです。全ての立場を経験し、地方自治に取り組んできた私であれば、その役目を全うできると自負しております。

 

 

 

自分たちのまちは自分たちで守る。先人たちが築いた課題解決先進自治体である京都を蘇らせるために、私は京都市政に挑戦します。